ひであ観察日誌

ひであの観察日誌です。自転車やペンギン、同人サークル「春うらら」の告知もこちらでおこないます。

RAAM(Race Across AMerica)を完走してきた話

もう完全に恒例行事になった #ロードバイクAdventCalendar 19日目です!!

adventar.org

今年、自分がなにかを書くとすればこれ一択でしょう!! というわけでアメリカ横断レース RAAM(Race Across AMerica)を8人リレーチーム

JAPAN RANDONNEURS 8(ジャパンランドヌールエイト)  

の一員として完走してきました(以下、JR8)

年末の「コミックマーケット103」で、

RAAMの(綿密な)計画と(それでも必要な弾力的な)実践

こんなタイトルのRAAM本を上梓するので、その宣伝も兼ねています。

当初、chatGPTに本のpdfを読み込ませて要約させて楽しようと思いましたが分量が多すぎたのかエラーで失敗しました。

RAAM(Race Across AMerica)とは

アメリカ西海岸をスタートし、東海岸までの3000マイル(4830km)を走破する世界最長のウルトラエンデュランスレースです。

1982年に4人のレーサーによってロサンゼルスのサンタモニカ桟橋からニューヨークのエンパイアステートビルまでの道のりで始まり、新型コロナ禍での開催中止を挟みつつ今年で41回目を迎えました。

大陸を横断するコースはアメリカ合衆国の12州と5つのタイムゾーン(時差は3時間)を通過します。

コース概要(Course Description)

RAAMの旅はアメリカ西海岸カリフォルニア州オーシャンサイドから始まります。

スタートしてすぐに海岸山脈を越え、日中の気温が40℃を超える灼熱の砂漠地帯を駆け抜け、フォレスト・ガンプなどの映画でも知られるモニュメントバレーを抜けて標高10849フィート(3309m)の大陸分水嶺があるロッキー山脈を越えます。

ロッキーを下った東麓に620マイル(1000㎞)以上にもわたって広がるグレートプレーン(大平原)を横断する頃にやっと3000マイル(4830㎞)の中間地点を通過します。

さらに東へアメリカ有数の河川でもあるミシシッピー川、ミズーリ川、オハイオ川を渡り、最後にアップダウンが続くアパラチア山脈を越えて大西洋を望む東海岸メリーランド州アナポリスでゴールを迎えます。

※ なお15年のあいだRAAMのゴールだったアナポリスは湾岸再開発で利用できなくなるらしく、2024年はそれ以前にゴールだったニュージャージー州アトランティックシティに変更されるとのことです。

カテゴリー(Divisions, Categories and Age Groups)

RAAMのレース部門は大きく以下の9種に分かれます。

  • ソロ(男性、女性)
  • リレーチーム
    • 2人チーム(男性、女性、混合)
    • 4人チーム(男性、女性、混合)
    • 8人チーム

ソロは古くは2000年以前にRAAMを5回完走している桜井要選手、その桜井選手の後、19年ぶりにRAAMに挑戦した鈴木裕和選手、翌年に女性で初めて完走した尾澤千恵子選手、今年完走した落合佑介選手が完走した部門です。

リレーチームはその人数で交互に走ってゴールを目指します。8人チームには混合しかありません。8人チームは後述する年齢区分もありません。

日本人は2018年にアメリカから参戦した4人チーム「Team Skipper」に「Hiroko Kobayashi」という方が、日本チームは2015年に「Crank Addicts Tokyo」というニュージーランド籍4人によるチームが参戦していますが、これまで日本人による日本チームでの参戦はありませんでした。

カテゴリはバイクによっても分かれます。

  • ノーマル
  • タンデム
  • リカンベント
  • HPV(ベロモービル)
  • ハンドサイクル
  • オープン

タンデムは1台で1人のレーサーとみなされ、「1台2人」のタンデムはソロ部門となります。バイクが混在している場合はオープンとなります。
あと固定ギア部門はありません(ありませんと公式のルールブックに明言されている。その割にアワードページにシングルスピード完走者のトップタイムが上げられている)

ハンドサイクルは2017年に初の完走者が出ています。記録は12日16時間18分 平均時速10マイル(時速16.1km)でした。

www.bicycling.com

最後に年齢区分は以下の通り。

  • 50歳未満
  • 50〜59歳
  • 60〜69歳
  • 70〜74歳
  • 75〜79歳
  • 80〜84歳
  • オープン

チームでレーサーの年齢が複数の区分に渡るとオープンになります。

ソロ完走者の最長年齢は男性が69歳、女性が60歳です。チームでは80歳以上(レーサー全員が80歳以上)での完走が記録されています。

参加資格(RAAM Qualifying)

ソロの参加資格は、「RAAMクオリファイレース」とて認定されたレースを規定の速度で完走すること、もしくは2、4人チームで完走したレーサーの一員であれば得ることができます。
あと公式の資格を持っていなくても、自身にその資格があると考えている場合はそれに相応する実績を運営に提出して嘆願することで得られる場合もあるようです。

チームに参加資格はありません。

クルーにはレーサーの資格の有無に関わらず、クルーセミナーの受講と予選レースの経験が推奨されています。

タイムステーション(Time Station)

ルート上にはタイムステーション(通称、TS)が53ヵ所あります。
TS間は50〜100マイル(80〜161km)離れています。カンザス州ではTS間がほぼ直線だったりすることもめずらしくありません。

レーサーはTSで停まる必要はありませんが、通過した時にはサポートクルーが運営に報告する必要があります。以前は携帯で連絡を取っていましたが、現在はウェブシステムで報告できるようになっています。

制限時間(Time Allowance)

RAAMのゴール制限時間は以下の通りです。
それとは別に道中に3ヵ所、カットオフタイム(Intermedate Checkpoint and Time Cutoffs)があります。

RAAMの基礎知識は以上の通りです。

RAAMの日々

参加の経緯はざっくり端折っって、ここからは6月13日に渡米してから6月28日に帰路につくまでの15日間、それぞれの日に1枚、印象的な景色を紹介したいと思います。

JR8では8名のレーサーを4人ずつ「A班」「B班」の2班に分けて16時間交代で走っていました。それもあってRAAMをスタートしてからは実質32時間周期で生活をしていたので、日付感覚が変になっています。

(ひであ、墨田さん、ふぃりっぷさん、TokyoTomさんはB班、はくらいさんやマヤさん、オゴウさん、まさトゥーさんがA班でした)

JR8は、8名のレーサーと8名のクルー、総勢16名のチームでした。

6月13日(火)

昼前にLAX(ロサンゼルス国際空港)に着いて、ホテルへ荷物を預けた後に行ったロサンゼルスの南、ロングビーチにある「太平洋水族館(Aquarium of the Pacific)」。
マゼランペンギンが展示されています。今年、創立25周年とのこと。

6月14日(水)

チーム集合まで時間が合ったので前日から来ていたふぃりっぷさん、はくらいさん、TokyoTomさんとサンタモニカ桟橋。
第1回のRAAMはここからスタートしたそうです。

6月15日(木)

RAAM、オーシャンサイドで受付(チェックイン)。
事前に受付時刻を予約してから行きます。遅刻すると1時間のペナルティなのでかなり余裕をもって来ました。
チェックイン、フォトセッション(写真撮影)、クルーチーフミーティングと立て続けに予定があって(いづれも時間厳守)行ったり来たりで半日が終わりました。

6月16日(金)

スタート前日、4台のサポートカーと、8台のバイクを準備します。

サポートカーはスタートから1週間、ホテルで仮眠する時以外の生活空間です。
1台は前日は8割方仕上げたのでそれを参考に残りの3台を仕上げていきます。
ボディーにRAAMに規定されているステッカーや支援していただいたスポンサーのステッカーを貼ったり、追加尾灯(アンバーライト)を屋根に取り付けたり、フロントライトを増設したり荷台にバイクマウントを設置したり、後部座席にクーラーボックスを設置したり。

バイクは既定の反射材をクランクやホイールに貼ったり、レーサーナンバーを取り付けたり。メカニックとして来ていただいていた12ソーバイシクルさんに最終チェックをしてもらったり。

日の出前から夕方までかかって準備していました。

6月17日(土)

オーシャンサイド、桟橋のたもとを現地時間正午(日本時間 6月18日(日)午前4時)にスタートがはじまって、各チームが1分毎の11番手にゴールへ向かって走り始めました。

最初の1マイル弱(1.1km)は8名でパレードラン、その後にサポート禁止区間が21マイル(35km)あるのでそこをA班のオゴウさん、まさトゥーさんの2人が走っています。

私やふぃりっぷさんのB班は、パレードランが終わってサポートカーに回収された後、班交代に向けて140マイル(225km)先のホテルへ移動しました。

6月18日(日)

前日のスタートから12時間、深夜に班交代して私のRAAM第1走はこんな真夜中の砂漠でした。昼間走っていたA班は砂漠の暑さに悲鳴をあげていましたが、さすがに日が暮れると落ち着いて、ほどよい暑さの中を走ることができました。

6月19日(月)

3日目、全体の3分の1の「TS15 デュランゴ」手前で班交代したB班はロッキー山脈を超えます。

最高標高地点のウルフクリーク峠(Wolf Creek Pas)は「大陸分水嶺」、標高は10,856フィート(3,309m)もあります。せっかくだからと残り2マイル(3.6km)ほどをB班のレーサー4名全員で峠まで走りました。
天気が荒れると極寒になるらしいのですが、この日は雲ひとつない青空。ほどよく肌寒い最高のコンディションで越えました。

6月20日(火)

ロッキーを越えたコロラド州からカンザス州に入るとそこは大平原(The Great Planes)、600mi(966km)以上の平地が続きます。街がなければ360度地平線です。

写真はちょうどふぃりっぷさんから私へレーサー交代するところです。
時刻は20時頃でダイレクトフォロー *1 中。
同じ景色がひたすら続くカンザス、40〜50分毎に交代していたレーサーはそうでもなかったですけど中には「飽きる! ツラい!」と言う声を上げるドライバーもいました。

6月21日(水)

上の写真から10時間程経った頃、後方にサポートカーが見えますが午前6時頃でまだダイレクトフォロー中です。
まだカンザス州を走っています。

地味に向かい風でペースが上がり切りませんでした。

6月22日(木)

3000マイル(4830km)も走っていると運営も把握し切れていない工事や通行止めも珍しくありません。

ここは鉄道の踏切工事で通行できませんでした。
正確にはここは踏切工事からの迂回路です。元のルート上の踏切が、掘り起こされて完全に通れなくなっていたので運営に報告すると迂回路が提示されました。

そちらへ向かったらそこも「ROAD CLOSED」と塞がれていたという。

それがここです。

ただ「LOCAL TRAFFIC ONLY」とも書かれていたので運営に確認すると、自転車は通っていいけどサポートカーは通れるところを探して迂回しろとの指示だったので担いで渡っているところです。

ちなみに通行止めの第一発見チームが我々JR8でした。この4時間前に別のチームが通過した時にはまだ工事が始まっていなかったようです。

6月23日(金)

少し雨に降られたところで虹が出ました。

ゴールまで残り240マイル(386km)と2ブルベを切っています。
ここまで平均時速19マイル(30.6km)、1日456マイル(734km)なのでゴールまで13時間くらいでしょうか(実際には通行止めとか班交代のミスもあって17時間かかった)

この先のTSで落合選手のクルーと遭遇、さらに私と交代したTokyoTomさんが落合さんをパスすることになります。

6月24日(土)

アメリカ西海岸オーシャンサイドをスタートしてから「6日と19時間42分」、東海岸の アナポリスにゴールしました。

ゴールした時点でのタイムは「6日19時間7分」。

これは先のスタートゴールの実際の経過時間から「ペナルティ 1時間」を足して、迂回等で与えられた「クレジット 1時間35分 *2 」引いたタイムとなります。

7月末に確定した最終的な記録は以下の通りとなります。

  • 総距離:2935.02マイル(4725.4km)
  • 走行時間:6日17時間40分
  • 平均時速:18.62マイル時(30.0km時)

走行時間がゴールの時より1時間以上短くなっているこれは、前半の「TS 8 キャンプベルデ」から「TS 9 フラッグスタッフ」が山火事によって全チームがシャトル移動 *3 したことで、この区間全体がレースに元から無かったことになったからです。
なので距離も102マイル(164km)減っています。

6月25日(日)

ゴールの翌日はサポートカーの片付け日でした。
まる1日かけて作ったサポートカーは、半日ほどで元のレンタカーに戻りました。

このあと60マイル(97km)離れたワシントンDCへ移動してダレス空港の近くのホテルに帰国するまで3泊4日滞在しました。

後泊が長いのは、ゴール制限の9日間ぎりぎりになってもいいように組んだ予定だったので、2日以上早くゴールしたことで日程が余ったのです。

6月26日(月)

と言うわけで観光日です。

スティーブン・F・ウドヴァーヘイジー・センター(Steven F. Udvar-Hazy Center)、通称スミソニアン航空宇宙博物館 別館。ダレス空港の南隣にあります。

手前に見えるのが「SR-71 ブラックバード」、奥に「スペースシャトル ディスカバリー号」が見えるのがわかるでしょうか?
ここは他にも「コンコルド」や「B-29 エノラゲイ」が倉庫の中に鎮座しています。

翌日訪れたワシントンDC市街にある本館にもライト兄弟の「ライトフライヤー号」、「アポロ11号司令船」等が展示されていました。
ただ本館は絶賛改装中で、リンドバーグの「スピリット・オブ・セントルイス号」を見ることができなかったのが残念。

6月27日(火)

「リンカーン記念堂」の前から「ワシントン・モニュメント」を望みます。

ワシントンDC 2日目は「ナショナル・モール」をぶらつきました。
ワシントン・モニュメントは上までエレベータで上れるのですが、この日は天候不順のために中止で残念でした。
写真を見る限り不順には見えませんが、この後雨が来ました。

6月28日(水)

日本への帰路に着きました。

午前中に国内線でダレス空港からロサンゼルス空港まで移動して、トランジットが6時間ほどあったので空港近くで最後のハンバーガーを食べていました。

最後に

2018年に鈴木裕和選手(zuccha)のRAAMクルーを務めたときにはまさか自分が走る側になるとは夢にも思っていませんでした。

ソロでの完走は逆立ちしたって無理ですが、チームなら完走できるんだと証明することができました。

人も休暇も費用もかかりますし、道中も車のアクシデントが続いてルート以外も決して平坦な道のりではありませんでしたが、8名のレーサー、8名のクルー、16名の誰が欠けていても辿り着けなかったと思っています。

ここから宣伝

という話を2冊に分けた総ページ数156ページで書いた同人誌を冬コミで頒布(2冊セット)します。

冬コミ2日目 12/31(日) 東3 ク49a「春うらら」

コミケウェブカタログ
webcatalog-free.circle.ms

でお待ちしています。

通販の予約もはじめました。発送は年明けになります。

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RAAMの(綿密な)計画と(それでも必要な弾力的な)実践
BLUE OCEANSIDE 「計画、準備、スタート〜デュランゴまで」

RAAMの(綿密な)計画と(それでも必要な弾力的な)実践
RED ANNAPOLIS 「デュランゴ〜アナポリスゴールとそのリザルト」

 

*1:ダイレクトフォロー:サポートカーがレーサーの後ろ30ft(9m)を走ること。現地時刻で夜の7時から朝の7時までの間は必ずダイレクトフォローをしなければいけない。

*2:クレジットの1回は先の鉄道工事の迂回。もおう1回は虹の直後にあったルート上の街のパレードによる交通規制で与えられました。

*3:サポートカーにバイクもレーサーも乗せてルートをショートカットする。